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キャンプ初心者zkの備忘録

根っからの初老海男が2016年11月に突然キャンプを始めてみた

若杉山について②~神社編 前編~

   

う~ん・・・ このナチュログの書式に慣れない・・・
知らぬ間に文字の大きさとか行間が変わってしまってもとに戻せない

デザインモードで書くのが間違ってるのかもしれないが、htmlを確認するのも面倒くさい・・・

それはさておき、我がベースキャンプ場の若杉山について

愛読してるキャンプ系ブログの一つ住所不定キャンパーの最近の投稿に「いろんなキャンプ場に行くのもいいけど、ベースキャンプ場を決めた方が落ち着いたキャンプができるよ!」というのがあり、まさにそうだなーと思った

キャンプを始めた11月の若杉楽園キャンプ場にはムラサキシキブとクロガネモチの実で紫色と赤色で彩られ、しばらくすると紅葉の朱色に染められ、3月にはモクレンとウメがほのかに白く咲き、4月になると外界から少し遅れて八重桜が濃い目のピンク色で長く咲き続ける

静かに時間が流れるキャンプ場で知らない植物に興味を持ち(特にツル系)、快適な電波状況のお陰で(キャンプ場にauの電波塔が立ってる)スグに検索できる

秋~春の趣味としてキャンプを始めて本当に良かったと思う

さて、話を戻そう

若杉山は霊峰であり、修行場なので密教系の寺院が多い
前回、真言宗系の団体「若杉霊法会」のお陰でキャンプ場が快適な環境に管理されているとも書いた

今回はシュバカラシンハや空海が訪れる前から存在する神社について

若杉山は「わかすぎやま」と呼ばれているが高野山真言宗は「わかすぎさん」と呼んでいる
そして元々は太祖山(たいそさん)と呼ばれていた

篠栗側から若杉山を目指すと、麓に「カブトの森公園」があり、その横に鎮座しているのが太祖宮(下宮)
太祖宮の航空写真
太祖宮は太祖山(現:若杉山)をご神体とし、正殿の主祭神(メインの神様)はイザナの尊の神
日本神話では日本を作った夫婦神の夫であり、キリスト教的に言うならアダム役になる
なので男山という別名もあったりする(ちなみに北側にある飯盛山はイザナの尊の神を祀っているので女山という別名がある)

副祭神は非常に多いけど、左殿で注目すべきは志賀の大神(別名:わたつみの神)や住吉三神といった海の神様が多い
そして右殿には宝満の大神(別名:玉依姫)や神功皇后といった女神が特徴(神功皇后の息子も八幡大神として祀られてる)

太祖宮というと有名なのが「太祖神楽」

お父さんの官兵衛と同じくキリシタン大名でありながら臨済宗の檀家で、さらに水鏡天満宮を敬愛してたという黒田長政が朝鮮出兵の終わりかけに福岡藩内の各神社に神楽座を組織させて年2回の神楽座を太祖宮で開くようにさせたのが始まり
当時、福岡藩内の各郡で20前後の神社があり、郡が6つあったということなので約120の神社が参加した神楽をわざわざ福岡市から15キロも離れた太祖宮で執り行ったのが興味深い

そして明治政府の神仏分離までは太祖宮ではなく神武太祖宮と呼ばれていたらしいことが分かってる
神武天皇と言えば初代天皇
イザナキが国土の開祖で神武が国体の祖であるから太祖なのかもしれない

そういった面白い背景を持つ太祖宮の上宮が若杉山山頂にある
太祖宮上宮

筑前国続風土記によれば、昔々博多湾の沖に住む鬼が上陸の足がかりにしようと若杉山の一部を海に移そうとした(地形図や古地図を見ると分かるが、現在の中央区全域や住吉神社以北・板付以西の博多区は800年前くらいまでは海だった)
これに上宮に住む太祖権現という神様が怒って大岩を投げつけて鬼を退散させたという伝承が残っている
この時に鬼が移そうとした若杉山の一部が現在の乙犬山で、太祖権現が投げた大岩が焼地山(やけぢやま)古墳と大隈丸山(おおくままるやま)古墳、もう一つの大岩は鬼に当たったとされている
博多古地図

そして若杉楽園キャンプ場の中には大山祇(おおやまつみ)神社の鳥居と社(やしろ)がある
オオヤマツミはイザナキとイザナミの子で木花咲耶姫(コノハナサクヤビメ)と磐長姫(イワナガビメ)の父親でもあり、太祖宮でも触れた初代天皇である神武にとっては義理の高祖父(母方のひいひいじいさん)でもある
大山祇神社

このオオヤマツミ神社の鳥居は海側(篠栗側)を向いているのだけれど、篠栗側に大山祇神社は一社もない
大山祇神社は須恵・宇美・飯塚といった山側に分祀社が多いのだ

前回、若杉山は左谷(天台宗)と右谷(真言宗)に分かれていると書いたのだが、山信仰と海信仰でも左右に割れていたのかもしれない(黒田藩の影響力がなくなった頃から太祖神楽から宇美八幡宮が離れ宇美神楽を興しているのも興味深い)

その証拠と言うべき社が和多都美(わだつみ)神社の存在
若杉楽園キャンプ場から山道を挟んだ反対側に太祖山金剛頂院の隣に和多都美(わたつみ)神社の社が鎮座している
ワタツミ神社というと対馬の海神が有名だが、原型は若杉山からその姿を一望できる志賀海神社だったりする
そして志賀海神社のワタツミはオオワタツミと呼ばれ、住吉三神の原型と言われるワタツミ三神とは明確に区別されている
オオワタツミはイザナキ・イザナミの子で(ワタツミ三神はイザナミの死後に誕生)、玉依姫(タマヨリビメ)の父、神武にとっての曽祖父(父方のひいじいさん)になる
和多都美神社

イザナキはもちろん、オオヤマツミもオオワタツミも日本神話の中ではかなり古い神様で、天照大神(あまてらすおおみかみ)より古い

古代に海岸線が今より4kmも内陸であったこと、太祖宮上宮が志賀島を向いていることから勘案すると、若杉山は志賀海神社を始祖とする日本最古の海人族である安曇氏族の聖地だったように思う

安曇族は縄文時代前期に揚子江河口流域(現在の上海)~済州島~五島列島沿いで博多に渡ってきて、縄文時代晩期には壱岐~対馬~朝鮮半島南部(任那)にまで進出した民族で、これは水稲の伝播ルートと一致してたりもする

次回は太祖山から若杉山に名が変わった経緯を書こうと思う




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若杉山について②~神社編 前編~
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