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キャンプ初心者zkの備忘録

根っからの初老海男が2016年11月に突然キャンプを始めてみた

若杉山について③~神社編 後編~

   

若杉山を霊峰とする民間信仰のルーツが縄文時代前期にまで遡るという壮大なスケールの話にまで膨らませてしまったのを少し後悔してる

キャンプと全然関係ないんだもん(笑)


まぁでも自分が愛用するキャンプ場の歴史を知っておくのも悪くはないんじゃないかとポジティブに考え、続けようと思う

古代から国産みの神であるイザナキ、その息子たちワタツミ(海神)とオオヤマツミ(山神)、初代天皇の神武を祀った太祖山
若杉山と名を変えた経緯

それは神功皇后三韓征伐
三韓征伐

熊襲討伐の最中にイケメン天皇の仲哀が倒れ、妻の神功皇后は久山山田邑斎宮で神主となって力を得、熊襲を打ち倒した
すると仮住まいとしていた香椎の廟(のちの香椎宮)の神に続き、住吉三神からも新羅征討の託宣が降りたため、神功皇后は身籠っていたハラノウチニマシマススメラミコト(胎の中に益します天ら皇=後の応神天皇)の父方直系のご先祖オオワタツミとイザナキの加護を求めて太祖宮上宮を参拝し、綾杉のご神木の枝をお守り代わりに鎧袖に挿して出陣
朝鮮半島南部を平定して凱旋帰国後に鎧袖の挿し木に生気があるのを確認すると、香椎の廟の門前に植えた

後に香椎の廟は香椎宮となり信仰厚い神社となったので
香椎宮に杉を分けた太祖山
分け杉の山
若杉山
となったと福岡県神社誌-上巻に記載されている

香椎宮側は順番が逆で、香椎の綾杉を分けて植えたから
香椎宮から綾杉を分けられた太祖山
分けの杉山
若杉山
となったと主張してるが、当時まだ廟でしかなかった香椎にご神木はなかった=神功皇后がお守り代わりにする理由はないので香椎宮宮の言い分は後付けと思われる

ちなみに神功皇后は三韓征伐に向かう船上で女神タマヨリビメ(ワタツミの娘)からも加護を受けたので
出産はタマヨリビメが眠る御陵宝満神社(金隈遺跡の近くで、宝満山とは別所)でと決めていたのだが

間に合わずに産んでしまった所がのちに
宇美(うみ)八幡宮となり

初めて応神のオシメを替えた場所が
志免(しめ)という地名になり

応神を竹のカゴ(ショウケ)に入れて運んだのが
ショウケ越であり

その先で九州全土から集まってくた軍隊を解散(大わかれ)した場所が
大分(だいぶ)八幡宮となり

この大分八幡宮がのちに筥松のもとへと遷座し
筥崎宮となる

筥松とは応神のヘソの緒を納めた筥(神事に用いる円筒状の箱)を埋めた場所に目印として松を植えたのが由来
筥は神祭や天皇家専用の文字なので筥崎宮のみに使い、その地名には汎用文字の箱を使うことにしたので箱崎となっている




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